マツ枯れについて��(2011.08.31)



松枯れの傾向のつづき

それでは、さらに『 松枯れ病』のページから気がついたことをいくつが指摘してみたいと思います。
「終息と流行」の項目には次のようにあります。

「歴史的にみれば,松枯れ病は終戦直後に西南日本で発生をみた.〜当時はGHQの指示により,徹底的な伐倒駆除が行われ,結果的には全国的な流行には至らなかった.」

これについては、少し乱暴な推理かもしれませんが、終戦直後の松枯れは、米軍の空襲のために発生した火災による煙を浴びたからではないでしょうか。

ベトナム戦争のとき米軍の使った枯葉剤はウィキペディアの枯葉剤のページによると「1961年から1975年にかけてゲリラの根拠地であったサイゴン周辺やタイニン省やバクリエウ省のホンダンなどに大量に散布された」とあります。

日本への空襲はそれより20年ほど前のことですから、枯葉剤を使った可能性は少ないと思いまが、空襲によって発生した煙は、マツにとって何らかの害があったのかもしれません。

たとえば、プラスチックなどの塩化物が大量生産されていない時代においても、生活に必要な食塩や塩分を含む食品は、各家庭に少しづつあった筈であり、焼夷弾などで市街地を焼き尽くすような空爆を行えば、塩化水素などの有害物質はそれなりに発生したはずです。

GHQの指示で枯れたマツの徹底的な伐倒駆除が行われたというのも、空襲の爪跡を一刻も早く消し去り、日本の戦後復興を軌道に乗せたいという米軍の思惑がはたらいたとも考えられます。つまり、GHQは、当時のマツ枯れは空襲に原因があることを認識していたのではないでしょうか?

終戦前の米軍による空襲の凄まじさは神戸大空襲のページを参考にしてください。

また岡山も大空襲を受けています。

日本全国の空襲の被害については都市空襲を参考にしてください。



さらに「終息と流行」の項目には次のようにあります。

「15年前の10月のことであった. そのころ,岡山県南部は松枯れが最もひどい時期であり,全山まさに紅葉したように見える時期であった.松枯れ病による松枯れは,夏の終わりに起こり,突如として見事な赤色に紅葉する.」

「松枯れ病は渇水年とその次年度に多発すると言われている.一昨年は渇水の異常年であったが,意外に松の枯損は少なく,中国地方のほとんどの地域では終息状況に至っているようである.現在,松枯れ病が流行している場所は東北地方であり,林業にとって大きな驚異となっている.」

15年前とは1972年のことです。この頃が岡山県では松枯れの全盛期だったわけです。ところが、1985年は渇水の異常年でありながら翌年の松枯れは少なかったということです。

この頃、「中国地方のほとんどの地域では終息状況に至っているよう」にみえるのは、逆転層の発生する高さと同じ標高にあるマツが枯れてしまったので、家庭ゴミの自宅焼却を続けていても、発生する塩化水素などの有害物質を被爆するマツが少なくなったからだと推理することができます。

また、この論文の書かれた1987年頃は東北地方で松枯れが流行していたそうですが、大量消費・大量廃棄にともなう家庭ゴミの自宅焼却が、東北地方にまで及ぶには、ある程度のタイムラグがあったのではないでしょうか。ですから、その分、東北地方ではマツ枯れが遅れて発生したわけです。

関東地方でも、1972年頃はもちろんのこと、1987年頃も家庭ゴミを自宅で燃やしていました。わたしも1970年前後のこと、土曜日に半日で学校から帰ってきて昼食をすませると、母親に「ゴミを燃やしておくれ」といつも言いつけられた記憶があります。就職して社会人になると、会社が週休2日だったので、土曜日の朝に家庭ゴミを燃やしていました。

ところで、前回紹介したウィキペディアの「マツ材線虫病」のページには、小笠原諸島の松枯れの写真が掲載されています。

関東の農村地帯にある我が家でも、2003年の春まで家庭ゴミを自宅で燃やしていたわけですから、離島においても、行政が家庭ゴミを回収して安全に処理していたとは思えず、やはり自宅で野焼き状態だったのではないでしょうか?



写真4

写真3のマツを見て、同じように梢端がフラットなマツがあることを思い出しました。
写真4のマツは太い幹が突然なくなっていて、枝がくねくねと横に伸びています。これがマツの自然な姿なのでしょうか?

ここの周りはすべて住宅に囲まれているので、かつては盛んに家庭ゴミの自宅焼却が行われていたはずです。これも梢端枯れ欠損ではないかと思いますが、まだ断定はできません。

強風で梢端の幹が折れたのかもしれませんし、はたまた、人の手で幹をカットした可能性もあります。結論を出すのは、もっと観察してからでも遅くはありません。(つづく)





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